陽だまりの子

Child In The Sun

山とどろく咆哮が聞こえ
私は目を覚ます
虎がやってきた

月日を見失うほど遠い昔
虎は私を殺して食べた
湖に浮かぶ月影だった私を

殺されること
食われること
そこに恐怖はなかった
夜に聞こえる千万(ちま)の声のひとつになること
季節のめぐりにさざめく魂のひとつになること
私は此岸を離れた

星流れ落ちる山影に
虎はいる

すべやかな金色の毛皮
闇を取りこんだ青い瞳
幾多の鳥獣を牙にかけ
臓腑を引き裂いた爪研いで
虎はますます美しい

虎は水面をのぞきこむ
泡立つ波間に三日月は細すぎて
星のまたたきのよう

風も雨もなく
湖が鏡のように凪ぎわたったあの夜
虎は私を殺して食べた

あの夜
月影の私は
月そのもののよう
輝き
虎よりも美しかった

私の胸を求めて
差し出された白い腕
空腹の子よ
乳を口に含んで
満ち足りて目を閉じる

私は与え
私は失い
私は力尽きる 早晩

与える乳は
未来への尽きせぬ思い
情熱 理想 夢
私のすべてで濁っている

生の終わり
魂の最後のまたたきを
私の胸から味わっている
明日そのものの お前

まどろみ

私は道をたどり
世界の体内に入る
空気は重く息苦しいが
私は少し安心する
雨がやんで
やがてバスが来る
私は移送される
ただひたすらに世界の中を
闇の中もバスは走る

目の前
バスのフロントガラス越しに見える景色は
雨上がり
とてもきれい
濡れた路面に
ヘッドライトが反射して
光はすべて美しい

私は光がほしい
自分自身を正しく見るために
白昼の光の下
自分で自分を解剖して
調べることができたら
いい

世界の体内にいながら
私は外を見ようともせず
自身の体について
考え
眠る、現実を

バスは走り
闇は私を飲みこんで
うねり
光もいずれ飲みこまれる

窓を開く女
窓を閉じる女

窓の傍にたたずむ女
窓から離れてうずくまる女

窓を見やる女
窓をふさぐ女

すべての窓は壁に生まれ
いくつかの窓は空に通じる

窓から手を差し出せば
柔らかな雨
花の香りを運ぶ風
雲間の光
鳴きかわす鳥の声
世界の息吹が
女の心をあたためる

命の連鎖に怯え
窓を閉じる女のもとにも
春は訪れ窓を叩き
命がまた芽吹く日を
彼女に告げてゆく

くりかえし
今、女を訪れるもの
彼女の窓を叩くもの
それは女の心をあたためる
世界の息吹

世界は窓に向かって開かれている

宵闇の波の音だけ
静かな夜
葉擦れの音も聞こえない
自分の呼吸の音を頼りに
私は自分の喉に手をのばす
ここに何かが巣食って
寄生している
私に何かを言わせようと
そのために私をまだ死なせないのだ
私はあなたに何度もたずねた
ここに何もないのか
本当に何もないのか
あなたは笑うが
私は自分の喉にまだひとり
誰かが住んでいることを感じる
私以外の何かが
命が
私の喉にもある
私はいくつかの命の上に生きて
自死を選ぶことはかなわない
自分の言葉のために

夏の雨

開かれた瞳 閉じられた掌
水晶の汗を滴らせて
小さなあの子は血反吐を吐く
父よ母よと呼びながら
地獄へ行くのはどの子
夏の雨が波紋を描く
陰鬱な温度 灰色の水分
どぶは血の海 雑草は針の山
蝶を花を夢見ながら
地獄へ行くのはあの子
苦悶の腕が夜空を抱く
薬指に死者の契約

青鈍色の経血は

心臓が肺の間からすべりだし
胃にのしかかり肝臓をつぶして
腸をかきわけ
足の間から転げ出る
青鈍色の経血は
生命になり得なかった

心臓を失った私は
内臓をひきずりながら
その心臓を片付ける

汚穢はポリエチレン
血はビニール
燃え残るのは有害なかさぶた

私は汚れた股のまま
まだ温かい大地に
座りこむ

目は覚めて
こうして息をしていても
血の通わぬこの体は
青鈍色に腐ってゆく

青鈍色の経血は
生命になり得なかった