陽だまりの子

Child In The Sun

091. デイ

 靴下をぽとんと洗面器に落とすと、ぬるま湯のうちにさっと赤い斑紋が広がった。血だ。
 階段で派手に転んで救急車で病院に運ばれた。爪がはがれていただけで傷は大したことはなかったが、それでも目が覚めるほどに痛い消毒液で下半身が痺れるまで消毒され、ガーゼを何重にも当てて包帯を巻かれた。
「痛み止めを飲まないと夜、目が覚めてしまいますよ」
当直の若い医師はそう言って処方箋を書いた。使っていたのは製薬会社の名前のプリントされた安いノベルティのボールペンだ。会社名と胃薬の名前が併記されているところが何とも真実味がない。この医者は外科が専門なのだ。
「どれぐらい痛むんですか」
「個人差はありますが、今まで出した痛み止めの量が多すぎたことはありません」
 つまり、足りなかったことはあるんだな。
「僕は薬なんて要りませんよ。今これだけ消毒したんだ。それに痛みには強い方ときてる」
「そうですか。お薬は出しますので、痛みだして我慢できなくなったら飲んでください。飲まなくても傷の治りに差はありませんが、健康には睡眠が何より必要だということをお忘れなく」
 僕は洗面器の赤い斑紋をじっと見つめている。あの医者が言うことが正しかった。僕は今、痛みに耐え切れずベッドから抜け出してきた。それで無聊をかこち、暇を持て余して一人で血に染まった靴下を洗っている。洗面所の蛍光灯が僕の足の包帯を映す。転ばなきゃよかった、階段から落ちなきゃよかった。
「出血だけでよかったですね」
医者の言葉だ。
「骨まで響いていなくてよかった」
よくない。こんなに痛いんだ。量の多寡を問題にしているんじゃない。0か1かだ。怪我をしなければよかったのだ。怪我をしなければ明け方に目を覚まして、一人洗面所で自分が汚した靴下を洗うなんてことなかったんじゃないか。
 あ、カラスが鳴いた。夜が明けたのだ。
 この包帯だらけの足は靴下と大きめの靴を履けばスーツの裾に隠れてしまう。後は、人に足を踏まれなければ何の問題もない。痛み止めが効いて電車の中ではすぐ眠れるだろう。そうだ、傷を治すには睡眠が肝心だ。一日やり過ごせば、痛みは少しはましになるだろう。