陽だまりの子

Child In The Sun

090. スロウモード

履歴書を書いていて職歴に差し掛かると、誰かに心臓をぎゅっと掴まれるような陰惨な痛みを胸に覚える。自分が如何に無能な人間か。5年も仕事をして口に糊して世を渡ってきたのに、自分の時間はわずか数百字程度の文字にしかならない。仕事のその場では自分の仕事は有意義だと感じて他に先んじた優越感に浸っていても、今、私の手元にある文字は正直だ。時は戻らない。時間が過ぎればすべてのことが陳腐化することに気づくのが遅すぎた。馬鹿は私一人だ。自分の乳房に手を添えて、自分の鼓動を確かめる。ああ、鼓動がずっと早くなっている。

明日もこのレジュメを持って違う会社を回る。「君ほどの才能があれば、どこの会社でもやっていけるよ」この言葉は「君を採用する」と同じではない。「一緒に働こう」と自分から言える人間はごくわずかなのだ。面接官の瞳に過ぎる冷徹な光は、じっと私を値踏みしている。この瞳の前でおびえる人間はダメだ。うちの組織には入れられない。入れてはいけない。彼の心の声が瞳の中でゆっくりと瞬いている。

私は弱い、運のない人間だ。世の中にはまだこんな苦労をせずに世を渡っている人間だって大勢いるのに、こんなレジュメを書かずとも、自分の無力さを自分自身の手で確かめずとも生きている人間だって大勢いるのに、私はその苦労を友とし世を渡らなければならないのだ。こうして生きている人間が私一人ではないことなど疾うの昔に承知だが、そのことはこの押しつぶされた心臓の慰めにはならない。ペンを机に置いて、ゆっくり息を吸い込む。こめかみから流れた汗が頬の涙と一緒になって私の手元に落ちる。ぱたぱたという乾いた音に自分の涙の潤いがいっそう引き立って、私の胸に迫ってくる。私は弱い、運のない人間だ。ああ、鼓動がずっと早くなっている。私は自分の胸に手を当てて、先ほどよりずっと深く深く息を吸い込んだ。そうだ。自分のこの胸を、心という名の心臓を握っているのは自分の手ではないだろうか。私は自分で自分自身を握りつぶそうとしているのではないか。

自分のたどってきた道の険しさを他人に誇るほど私は暗愚ではないが、私にとって無駄となった苦労は一つとなかった。道に転がる石や枯れ木を取り除くことに時間が多くかかったが、それは道を引き返してくるときに役に立った。私は誰よりも早く元の道に戻り、過ちを犯した分水嶺に引き返せるのだ。もう一度苦労をしても、それは新しい苦労だ。同じ痛みを何度も繰り返してきたのではない。同じ痛みを繰り返しているのは、ただ自分の胸のうちだけだ。目の前にはすでに新しい道が開けているのに、自分の胸のうちだけで苦労を苦しみを痛みを追体験し続けていた。

レジュメにはこう書こう。「困難に耐え、任務を全うします」「経験を糧にすることができま
「困難に打ち勝つ」とは書かなかった。これからも書かないようにしよう。自分を必要以上に追い込んではだめだ。元の道に戻る導すら見失う。私は走ることはできないが、振り返りながらゆっくり歩き続けることはできる。自分を握りつぶさない限り、私はずっと一歩を踏み出していける。