陽だまりの子

Child In The Sun

072. 崩壊

眠る前に安定剤を飲む。安定剤を飲んでから5分も経たないうちに眠ってしまうので、安定剤としての意味はほとんどない。ただ、この薬を飲んで寝ると必ず夢を見るのだ。うっかり飲むのを忘れたり、飲み合わせで薬が飲めなかったりするときには夢を見ない。

夢を見るのは嫌いだった。完全に異質の世界で体験した数多の悪夢は、私をしばしば眠らせなかった。枕は冷たく、布団は重く圧し掛かり、私を拒んでいた。天井に映る稲光の鋭い眼光が、私を冷たく睨みつけ、夜光時計までが私の邪魔をした。ただ、安定剤を飲んで眠ると、私はすぐ眠りに落ち、夢を見る。それは悪夢ではない。ただの夢だ。現実と地続きの夢だ。

夢の中で私は毎日、時間に起きだして、身支度を整え、電車に乗って出社する。定期が切れていることもないし、電車が遅延することもない。信号もすべて青だ。踏切は常に開いている。会社までの行程を妨げるものは何もない。私はその道を辿り、席に着き、仕事を始める。仕事の内容も克明に覚えている。処理したデータ、書き上げた企画書、すべてが手の前にかざした掌の静脈のように、はっきりと見える。現実と地続きの夢。私は夢の中で穏やかな気持ちのまま、仕事を進める。蛇口から下水溝へ続く水、一定の勢いで時間が流れる。

この穏やかな夢。夢の私は現実の私と同じ私で、過剰に幼かったり余計に年を取っていたりすることもない。私はこのままの姿で夢の中にいる。安定剤が見せた夢だと知っていても、私はこの夢の中の時間で心を乱されることはない。現実の私のように、私は泣いたり、悲しんだり、苦しんだり、負の感情に支配されることはない。現実と地続きのこの体に、刻まれていく穏やかな時間。

私は平穏な夢の中で、ずっと生きていたい。たまにそう考えるが、眠り続けた末、この体が滅びてしまえば、夢も滅びてしまうことを思うと、それはできない。平穏な夢の崩壊。きっとそれは砂になるのだろう。醜く臭気を放って腐り落ちる体から、砂となって吹き飛ばされるのだろう。そのとき、私の安定剤の夢は、悪夢に変わってしまう。安定剤は夢から現実を少しずつ侵食する。