陽だまりの子

Child In The Sun

070. コーヒー

働く中でいつも忘れないようにしていることが、ひとつある。同僚のマグカップを洗うことだ。

オフィスにはレンタルのコーヒーサーバーと薄いプラスチックの使い捨てのカップが置いてある。社員なら誰でも好きなだけ飲んでいい。だが、この薄いプラスチックのカップが気に入らないのか、唇に当たる味気のないあの感触が嫌なのか、私の周りには家から自分のコーヒーマグを持ってきて、コーヒーを飲むにはそれを使っている人間が多い。ただ、男所帯だからだろうか。飲み終わったコーヒーマグをそのまま机の上に放置して帰る人間が多いのだ。今は冬だからまだいいが、夏だったら一晩で黴が生えるところだ。冬だって埃は入るし、雑菌が繁殖しないとも限らない。

仕事の手が一番遅い私は、一日の終わり、一番最後にオフィスを出るときに、その空いたコーヒーマグを集めて給湯室で洗う。ただ水を通すだけではなく、スポンジに洗剤をつけて丁寧に洗う。洗ったマグカップは水気を払って食器棚に伏せておく。ビルの中に私以外の人気はなく、誰かいるとすればそれはゴーストだ。ばちゃばちゃと落ちる水の音と、マグカップからシンクに滴り落ちる水滴以外に、音は聴こえない。

時には10以上のカップを洗うこともある。大した手間ではないからといって、誰から言われた訳でもないのに勝手に始めて、今日まで一日も欠かさず続けている私は、それなりにえらいのではないかと思ったりもする。誰からも誉められないし、感謝もされないが、私はこうしてマグを洗う時間に一日の終わりと充足感を覚えている。誰からも誉められなくてもいい。だって私が決めたことだもの。誰からも感謝されなくてもいい。私が自足しきっているのだもの。見苦しいと言うなら、朝一番に私の目の前で黴の生えたマグでコーヒーを飲んでみせろ。飲みはしないだろう、飲む意志はないだろう。私も誰にもそんなコーヒーを飲んでほしいなんて思ってないのだ。

食器棚をパタンと閉めてしまうと、明日の目覚めがそこにいるように思う。伏せられた清潔なコーヒーマグは、まだ見ぬ朝日のように山の向こうで眠っているのだ。