陽だまりの子

Child In The Sun

044. ソファー

独房の中は一人でいると案外広いものだ。自分の四肢をぐっと伸ばしてもまだ壁までまだ余裕がある。私の体が小さいだけなのか……。私か?私の名前はシャーリーン。5年と少し前に人を殺してこの牢獄に入れられた。弁護士の話によると出られるのは当分先だそうだ。期待せずに待っていた方がいい、弁護士はそう言った。石と鉄で造られたこんな狭い部屋は私は嫌いなんだ。当分先、それを待つことを考えるだけでいらいらする。私には田舎暮らしが性に合っている。広い畑、狭い畦道、家の庭に藤棚があって、壁が漆喰でできている家が私の暮らしのすべてだったんだ。ドクター、聞いてくれ。あんたなら私の自殺願望について聞いているだろう。私はその家に帰りたくて、帰れないこの身の境遇を嘆いて死にたくなるのさ。これが正常じゃないとするならどうするんだ?私は治療対象に置かれ得る人間なのか?

私の犯した罪のことを話してほしいって?まあ、少しでもあんたの研究の参考になると言うのなら話してやるよ。私は人殺しをした。自分と同じ名前のシャーリーンという女の首を絞めて殺して、園芸用の鋏で指まで切り刻んで藤棚の下に埋めたんだ。あいつは本当に私の気に障る女だった。細々とした諍いの話はあんたも気分が悪くなるだけだろうからよすよ。あいつを殺そうと決心したのはバラの話がきっかけだった。

あんたたちには想像もつくまいが、私たち植物を愛する人間にとってバラは一種特別な植物でね……。あの美しさと相反する脆弱さと、奇天烈な葉と茎の影、まったく神は何を考えてあんな美しい花をお造りたもうたのかね。特に眼の青い人間はバラの花のことについては一歩も退かない。自分の好きな品種、好きな色の花弁、生垣に仕立てるときの柵の高さまで、バラを育てている者同士で議論しあうんだ。議論は時として諍いに発展し、時として由緒正しき決闘に発展したりする。手袋を投げつけて「侮辱した」とね……。バラの花のことで戦うなんて誰も言わないから近所のご夫人連はどうせ女の取り合いとでも考えているのだろう。だが、私たちにはわかるんだ。「ああ、バラのことでまた争いが起きた」とね。

ああ、話が逸れたね。ミルク・コーヒーでもあればいいのだが……、私は少し眠くなってきたよ。こんな雨の日にはバラのすべて色が洗い流されて蕊ばかりが目立ってしまう。あんたは萎れたバラは好きかい?私は毎朝天気予報を見て、九分まで咲いたバラが雨に打たれそうになれば枝ごと折って部屋に飾るんだ。そうすれば花の寿命は少しは延びる…。ただ、シャーリーンはそれが嫌だと言い出したのさ。露地で育ったバラは最後までその露地で寿命を全うさせてやるべきだと、シャーリーンは繰り返した。私はそうは考えない。バラは花と花以外の部分はまったく別の植物だからだ。花を手折ってもその葉と茎と根は土に残るだろう。それで充分じゃないか。バラの花自体は神が天から与えたもうた美と崇高の象徴なのだから。なあ、ミルク・コーヒーは本当にないのか?

人間でもそうだ。頭とそれ以外の部分はまったく別の人間なんだ。首から下の部分は如何ように造り替えたとしても頭を挿げ替えなければ、手も足も同じ動きをする。舌は同じミルク・コーヒーをほしがる。手と足だけではバイブルは読めないだろう?人間の知と愚かさは頭にある。神から与えられたものはすべて頭の中にあるのさ。シャーリーンは私の話を解さなかった。私とシャーリーンはある日、朝まで議論したんだ。私たちが神から与えられたものは一体何なのかと。そうして、私は天気予報を見逃した。毎朝バラの手入れのためだけ見ている天気予報だよ。私は徹夜明けのぼうっとした頭で、「ああ、今日はバラの世話ができない」と考えたんだ。するとその瞬間雨が落ちてきた。私は幾つかのバラの名前を叫んで庭に飛び出そうとした。が、シャーリーンは庭に飛び出そうとする私の手を取って「濡れるわよ、あなた」と言ったんだ。私がバラの名前を叫んでいるのにだ……。私はシャーリーンを突き飛ばすと庭に出て八分咲きから九分咲きまでのバラをすべて摘んで花瓶に活けた。あの年のバラの出来は本当に良かった。部屋中にむせ返るほどのバラの素敵な香りが立ち込め、ところどころにぞっとする茎の断面の青い臭いが混じる。シャーリーンはがっくりと肩を落としてソファに腰掛けていた。私には彼女が眠っているように見えた……。

気がついたときには部屋からバラの香りはすっかり消え、足元には唇から一筋の血を流して倒れているシャーリーンがいたよ。私は愚かなこの女の頭の働きを止めたことにすっかり満足していた。ただバラの香りが消えたことが残念でならなかった。だから私はシャーリーンを自分の庭に引きずり出して解体し、藤棚の下に埋めた。藤棚は花の時期には特別よい香りがするね。そして緑の葉は天を覆ってしまう。私は神の教えを解さないこの愚かな女を天の光から遮ったことに今でも満足しているよ。そうして部屋に戻ったときには、またバラの香りが元通りに部屋に立ち込めていた。私は神の恩寵に見放されてはいなかったのさ。