陽だまりの子

Child In The Sun

人魚 第9話

 水族館のペンギンの檻の前、私は一人助かって孤独だった。みぞれ雨がべしゃべしゃ降り出して、ずぶ濡れの私はくしゃみをした。全身から海のにおいがした。
「私はもう死んだ方がいいの?」
人魚のくれた力で私ははっきり話すことができた。
「どうして。一人助かったことがまだ悲しいの?」
「違う……。こんなつらいことを思い出して、これからも何度も反芻して、それに耐えながら生きていけるかどうか不安なの」
私の言葉は幼子のそれではなかった。今の私と同じように、はっきりと自分の意志を持ち、それを表現できる力を持っていた。人魚の口づけのおかげだった。
「平気よ。私がここに連れてくるまでの間、あなたはそのぬいぐるみに気を取られて忘れていたのだもの。また人間は忘れるわ。人間は何度でも何度でも忘れられるの」
「また忘れるまで、私は生きていられるのかしら」
遼子はぎゅっとペンギンのぬいぐるみを抱きしめた。海の中に入っていたはずなのに、ぬいぐるみは濡れていなかった。目の前の人魚の髪も雨の中にもかかわらず乾いていて、時々吹く風に靡きさえした。
「あなたは私とは違う生き物なの。平気よ」
「人魚はどうなの? どうやって生きているの?」
「私は何ひとつ忘れない生き物なの」
 人魚は音を立てて何度も飛び込むペンギンに目を移し、溜息をついた。
「もし、私があなたなら、何もかも覚えていなくてはならない、ひとりきりで悠久のときを生きていかなくてはならないことに耐え切れずに、自分の生命を縮めようとするかもしれない」
遼子は人魚の不死の運命に身震いした。
「不死の私たちにはできないことだけどね」
そう言うと両手を広げて人魚は笑った。
「でも、自殺は人間にはできないことなの。人間にはあらかじめ定められた命数があって、それに沿って生きていくように造られている。自殺という形で死ぬ人間もいるけれど、それはそう見えるだけよ。そうやって死ぬように命数が決まっているの。あなたの母親と弟もそうよ」
「私はまだ死なない命数だった」
「そう。あなたはまだ生きる。そしていつか命数の尽きたときに死ぬように造られている。私はそもそも命数を持たず、死なないように造られている。違うのよ。私たちは」
「私はどうすればいいの?」
「命数が尽きるまで生きるのね」
「それってしあわせなことなの?」
「しあわせ? 私にはわからないことだわ。そもそも、つらいなんて誰が決めるの?」
それは人間一人ひとりによるんじゃないかしら。人魚は笑った。
「そう考え込まなくても、なるようにしかならないわ。あなたがた人間の力はとても小さくて、世界の運命を変えることはできないのだもの。今、生きていることに感謝なさい。そしてつらいことはもう忘れてしまいなさい」