陽だまりの子

Child In The Sun

五色の山 - 西の金の山 第6話

 この山には古くから黄金の鉱脈があり、その坑道の入り口間近には一宇の堂が物古びた様子で建っている。そこには堂の守をする類という青年が一人住んでいた。色褪せた浅葱の袴に豊かな黒髪を頤の線で束ね、堂の内でいつも静かに見台に対し、古記録を読んでいた。
 ここの鉱脈は大変豊かで、金の産出量は近隣でも群を抜いていた。落盤も殆どなくこれも神仏の御加護だろうと村人は毎月毎年の祭りを欠かさなかった。
 しかし、死者は出る。
 月に一度は坑道に満ちる恐ろしい瘴気に侵され死に至る者が出た。今宵もまたその野辺送り。三々五々と家路に着く村人から離れ、類は一人で坑道に入った。坑道で死んだ者の後を清めるためだ。手燭の僅かな明かりを頼りに、坑道を進む。男たちの汗の臭いと熱気がまだそこここに残っている。類は袂で顔を覆い、辺りを見回した。木組みと湿った土、押し車の通る鉄線が、手燭の明かりに浮かび上がった。人の死んだ場所には注連縄で結界がある。類はそれを探す。
 そのとき、類の足が止まった。澱んだ空気のうちに、微かな物音を読んだのだ。
「そこにいるのは誰ぞ」
返事はない。類はその場にかがみ込み、足跡を調べた。新しいものはない。ここの坑道は入り口が二つあり、類の入ってきた社側のものと、坑夫たちの住居に近い村側のものがある。
「そこにいるのは誰ぞ」
類は再度問う。ちりん、と鈴の音がした。燃え盛る手燭をかざし再度、そちらを窺う。白い爪先が浮かび上がる。
「女」
 影は消えた。

 言うまでもなく、坑道は女人禁制の場である。坑道にはそこで死した者の魂魄が多く残っている。魂魄の移りやすい女子供の出入りを禁じるのはそのためだ。類はあの日、そのまま清めを済ませたが、夜が明けてもあの白い爪先がどうしても瞼を去らなかった。
 日々は過ぎる。類は再度、あの坑道を訪うことにした。また、坑夫たちの帰った深更に手燭を掲げ、入り口をくぐる。幾許かも行かぬうちに、鈴の音が聞こえてきた。今度は一度きりではない、ちりん、ちりん、ちりん、ちりん、ちりん、その音は次第次第にこちらに近づいてくる。
「女」
手燭をかかげ、類は問う。
「その方、先日もこの坑道に出入りしていた者か」
「申し訳ございませぬ」
低い、なれど優しい女の声。
「お許し下さいませ。私は先日、ここで亡くなった者の世話になっていた者です。人目憚る仲であったために野辺送りにも行けず、せめて在りし日の彼の人の姿を偲びんと禁を犯してここまで参った次第でございます。どうぞ、お見逃し下さいまし」
「ならぬ」
類の厳しい声。
「女、亡き者を思うその志は美しいが、そなた一人を許しおく訳にはいかぬ。即刻ここから立ち去れ」
「どうしてもですか」
「どうしてもだ」
しばしの静寂の後にちりん、とまた鈴の音。ぞぞぞ、と音を立てて類の足元を一陣の風が吹き抜けた。
「女、まだいるか」
風は次第に激しくなる。細かな土埃に、類はその袖で顔を覆った。
「私はここから離れることはできませぬ」
「なぜだ」
「人間が私を求めるからです」
「それはあの死んだ男か」
ちりん、と鈴の音。木組みが手燭の光に揺れる。
「いいえ、あの人だけではない。お前様も、そしてまた他の人も。私の体を求めて已まぬのです」
手燭の明かりに女の白い爪先が浮かび上がる。
 影は消えた。

 類は村人に訊ねる。坑道で死した男に近しい女はいなかったか。村人は一様に首を横に振った。類が女のことを口にするのは珍しく、それだけで村人の話の種になった。
「類も年頃の青年なのだ。それが当然だろう」
と言う者もいたが、多くの者は類の潔癖なまでの清廉に思慕していたので、類への風当たりは日々強くなった。しかし、類は我関せずと言った風情で、行動への日参を欠かさない。最後には、類が坑道のうちで女と密会しているのだという噂まで流れた。類は否定しない。

 類は、あの数日の後に、女に会っていた。鈴の音を逃すまじと、その元に駆け寄り、大きくて職をかざした。そして、闇の中から現れ出でた女の面の美しさに、類は思わず息を飲んだ。手燭の黄色の光りに額と頬は明るく輝き、高い鼻梁を挟んだ双眸は、深く澄んで美しかった。
「お前様、私の姿を見ましたね」
類は言葉もない。慌てて面を背けると、踵を返して坑道の入り口に向かって真っ直ぐ歩き始めた。その類の袖を女は押さえる。
「お待ちになって。ね」

 絶えて久しくなかった落盤が再び起きた。崩れ落ちた木組みの間から、類の持つ手燭と塩、着物の端が出てきたが、その体は遂に見つからなかった。村人たちは、類が金の神に魅入られたのだと噂した。金の神は女人に喩えられる。
 しかし、あの女は金の神だったのか。確証はない。

五色の山 - 西の金の山 第5話

 この金の山はそのまま金塊と言ってよいほどの豊かな鉱脈に恵まれていた。露天掘りでそのまま掘り出す黄金で町は富み栄え、絢爛と狂奔のうちに繁栄の日々が続いた。
 絶壁の上に類は立っている。飛び降りるのだと言う。彼は先祖代々築き上げた富を今夜、博打で全て失い、頼みにしていた鉱脈の権利書までも奪い取られ、身一つとなってしまった。この町で鉱脈の権利書を持たぬ者は、この町に住まいすることができぬ。類はそして死ぬと言う。この町を出ての生活など考えられぬと類は言う。
 類はその類い稀な美貌で近隣に知られていた。漆黒の髪、白銀の額、びいどろの青い瞳、美の豊穣がここにあった。その類を失うことを誰も望まぬ。美しき類亡くしてはこの金山の繁栄に翳りがさす。それは誰も望まなかった。
 絶壁の上に類は立っている。類の説得に当たるのは老若男女、身分も様々、そして誰もが類を愛していた。数時間に及ぶ説得の末、類はようやく踵を返し、皆の元へ歩き始めた。その瞬間、類は口の端から泡を吹き、四肢を痙攣させるとそのまま横様に倒れ、谷底へ転がり落ちていった。
 過剰な繁栄とそして暗黒が類の心から平穏を奪い、身体から安寧を取り去った。再びその狂乱のうちへ戻らんとしたとき、神の手が働き、癲癇を起こした類は、奈落の底、黄金に輝く土中に吸い込まれていった。
 現在、地上の金山は既に掘り尽くされ、後には岩石を敷き詰めた広大な平原が広がっている。しかし、鉱脈は尽きることなくこの土の下では今も幾千もの鑿が振るわれ、次々と金塊が運び出されている。類の落ちたあの地も今はない。類の眠る土中も安らかではない。西の金山。

五色の山 - 西の金の山 第4話

 西の金山には一つの鏡が埋まっている。
 その鏡はその山の麓に住まいする類という美しい青年の持ち物であった。その鏡は差し渡し八寸、中央のつまみは麒麟が蹲った形をしており、つまみの四方に亀・龍・鳳・虎が、それぞれの方角に鋳出され、その外側にはさらに八卦の形があり、その外側には十二支をそれぞれの方角において、動物の形で鋳出されている。そのまた外側には二十四の文字があって、周囲を取り巻いているが、その字体は隷書の様で、一点一画も欠けてはいないが、字書に見られる文字ではない。そして、その鏡は珍しく金でできていた。
 鏡を日に向けて照らしてみると、その黄金の反射の中に裏側の文字や絵が黒々と浮かんで、毛ほどの筋さえ鮮やかに見える。取り上げて叩けば、清らかな音色が静かに尾を引いて、一日経った後にようやく消えるのであった。
 また、このようなこともあった。日食があり、太陽が次第に暗くなっていくのに気がついて、手元を照らそうとその鏡を出してみると、鏡もやはり薄暗く、輝きを失っていた。この鏡は日月の光の霊妙さにあわせて作ってあるのだろう。それでなければ、太陽が輝きを失うとともに光を失うはずはない。やがて鏡が光を放ち始めると、太陽も次第に明るくなってきた。太陽が元通りになったときには、鏡も元の澄み切った明るさに返った。それから後は、日月の食があるたびに、鏡の面も暗くなった。
 類はその鏡を先祖伝来のものだと言って、毎日金の油を塗り、真珠の粉で磨いて大事にしていた。しかし、彼に親兄弟があったという話は誰も聞いたことがなかった。
 ある日、ふとしたことでその鏡にひびが入り、類が余りに嘆き悲しむので、村人がどうしたことかと尋ねたところ類は涙の間にこう応えた。
「あの鏡は私の命でございます。私はあの鏡より生まれ、あの鏡を頼みに日々を送っておりました。あの鏡なくば私の命も長くはないでしょう」
 その言葉通りに類は数日のうちに死んでしまった。類の死と同時に風が起こり、雷が鳴り響いて大雨が降り始め、雨がやんだ頃、大地はすっかり流され、四方は海と化していた。空に太陽はなく月はなく、茫漠たる雲の波が空を多い、世界から生ある者はそれきり消えた。
 今、西の彼方に聳え立つ遥かな山にはその鏡が埋まっていると言われている。類の死を悼んで村人たちが墳墓をこしらえ、遺体とともにその鏡を埋めたのだ。太陽がその山の向こうに沈むとき、その光が真円を描き、冷たい風のうちにあの鏡の涼やかな音が聞こえるという。

五色の山 - 西の金の山 第3話

 金山の麓に住まいする女が病に罹った。左脇の下に腫物ができて、それが酷く痛むのだという。微熱が続き、女は次第に痩せ衰えていった。薬餌及ばず、鍼灸も至るあたわず、病膏肓に入らんとするとき、殿医がそこに通りかかった。彼が黄精を搗き、酢で練ったものを腫物に塗りつけてやると、その腫物は二つに裂け、膿漿の中から血の塊のような真っ赤な卵が転がり出た。殿医がそれを王宮に持ち帰り、真綿のうちに置いておくと、十月十日の後にそのうちより一人の赤子が生まれ出た。赤子の皮膚は炎のように赤く、双眸は翡翠の如く青く輝き、唇の狭間からは金の歯が覗いていた。殿医はその子を見るなり、不動の生まれ変わりであると知って丁重に育てた。年を経るごとにその子は霊力を現し、王のために様々な働きを見せたが、十五になる前に王宮から姿を消し、彼の後を見る者はなかった。
 今、金山の麓には一つの不動堂がある。王宮から去ったその子が、金山の上はるかなる紫雲のうちに消えたという伝説が今もあるからだ。秋の深まる今頃の気候になると、金山の上には噴煙の如き紫の雲が湧き出でて、それがいつまでも去らずにある。その雲が鳴動すると、雪が降って冬が始まる。金山の麓に住む人は、その雲のうちで不動の生まれ変わりが手を叩き声を上げて笑っているのだと言う。

五色の山 - 西の金の山 第2話

 金山の麓の国に類という青年があった。大層な美貌であったが、いつもその黒髪を両肩に捌き、長い裳裾をつけ、山野を徘徊していたために寄る者はなかった。
 ある日、類が山に入り薬草を採っていると、村人の一群と出会った。彼らも薬草を採りにこの山に入ったのだと言う。その中の一人が類のいっぱいの薬籠に目を留め、軽い妬みからその籠を類の腕から叩き落とした。類は腹を立てたが、何も言わず、じっと俯いて黙っていた。
 山の天気は変わりやすい。突然、大雨が降り出した。目の前に古い堂があったので、村人たちはそこに駆け込んだ。しかし、類は雨の中ずぶ濡れになりながら一人、けして堂内に入ろうとはしない。村人が訊けば、その堂はじきに崩れるので自分は入らぬのだと言う。村人たちは恐れをなし、早々にその堂を出たが、中の一人、類の薬草籠を叩き落した者、彼のみは日頃から類を侮るところ甚だしかったので、類の言を信ぜず、頑としてその堂を出ようとはしなかった。
 深更を過ぎて、類と村人たちが木々の僅かな陰に寄って濡れながら休んでいると、突如、轟音とともに堂の後ろの崖が崩れ落ち、忽ちに堂を埋めてしまった。村人たちは驚き、その場に走り寄ると、夥しい土塊の中から声が聞こえる。土で扉は塞がっているが、堂は潰れず、村人はまだ中で生きているらしい。頻りに助けてくれと繰り返すので、残った村人が類に助けを求めた。類が何やら印を結び文言を唱えると、一閃雷鳴が轟き、その扉に落ちた。扉はその上の土とともに飛散し、村人はそこから這い出ることができたが、雷の強い光と音で聾唖になり、そのまま余生を虚しく送ったという。

五色の山 - 西の金の山 第1話

 まだ天と地が分かれて間もない頃、空には太陽なく月なく、また星もなく、ただ大地から発せられる茫漠とした金色の光が虚空を満たしていた。
 その地を耕す類という少年がいた。彼に両親はなく、その素性も判然としない。類は一人、村外れの藁葺の小屋に住まいして、日々黙々と田畑を耕していた。肥えた土には米と麦。痩せた土地には粟と稗と豆を蒔き、四季のないこの世界でその成長を頼みに時を過ごしていた。
 類はまだ十三。彼の双眸は青く美しく、しなやかに伸びた四肢は確かに男のそれだったが、肌はまだ絹のように柔らかく温かで、白く美しかった。
 ある日、類がいつものように鋤鍬を手に畑を耕していると、一陣の風が起こり、その中から羽衣を着た若い男が現れた。旋風が類を取り囲み、砂塵を巻き上げる。忽ちに類は昏倒し、目覚めると自分が孕んでいることに気がついた。月が満ち、臨月となると再びその羽衣の若者が現れ、懐から取り出した刃で一閃、類の下腹を切りつけた。類の腹からは一匹の青い蛇が生まれ出で、若者はその蛇を伴い消えた。

 青き蛇を生んだ類は、宦官となり皇帝に召され近くに仕えた。数十年の時を経てもその美しさは衰えず、皇帝に拝跪する者はそれを神仙の血を受けたからだと言い、蔑みながらも畏れた。皇帝が死すと、後宮の者たちは揃って類を追い出しにかかり、追い出された類は暫く山野を彷徨っていたが、ある夜、叢から這いずり出た青き大蛇が類を一飲みにしてしまうと、そのままするすると叢に消えた。

 それから数十年の後に、驟雨の中、雷鳴とともにその山から青き龍が天に昇り、その後には広大な湖が残った。今、西の金山の山頂近くに僅かに残る、青く澄んだ小さな池はその名残である。

五色の山 - 南の赤い山 第5話

 お庄屋の葬式は盛大なものだった。その葬式に、このお縫もいた。
 大きくなった。神主と目が合うと、お縫は嬉しそうに笑う。ただ、毎日笑って花を手折っているだけの、何の害もない一人の娘をこうして死なせねばならぬのか。思わず神主の目から涙が溢れた。
 閏年の度にこうしてお庄屋と二人、神主は馬を牽いて火口へ向かった。その頃はまだ山も静かで、月と星の下で木の葉は妖しく煌めき、ひんやりと心地よい風が二人の額の髪を弄った。二人とも一言も口を利かず、縛められた馬上の娘も何も言わなかった。
 火口に娘を落とし、二人は歩いて山を降りた。山を降りて、次第に白む東の空を眺めていると、隣でお庄屋が朝日に向かって合掌しているのが目に入った。
「西方浄土は逆だぞ」
ふふふ、とお庄屋は笑って歩き出した。
 贄になった娘たちも生きていれば誰かと夫婦になり、子を残したのかもしれない。だが、その子が娘なればその娘が、その娘が生き延びれば、そのまた娘がいつか贄になる。生まれたのが息子であっても同じことだ。この村に生まれたときから、この世に女として生まれついたそのときから、その恐怖は死ぬまで、贄として人間として死すまでついて回る。
「いつまで登るんだ」
若衆の一人の声で、はっと我に返る。
「ああ、もう少しだ。そのうち火口が見える。足元に気をつけろ」
 百人以上の娘を穴に落として、神主の一族は生きてきた。そうしなければ神罰に当たり生き延びることは叶わなかったろう。
 火口に着く。
 滝のように流れ落ちる汗を拭おうともせず、神主は最後の幣を払う。口に唱える祝詞も地鳴りに掻き消され途切れがちになる。若衆の手からお縫は花束を受け取ると、笑ってその中に顔を埋め、思うさまその芳しい花弁を嗅いだ。硫黄の臭い。
 お縫を後ろ手に縛り上げ、しっかりと馬に結びつける。痛い、とお縫が顔をしかめる。横にいた若衆の一人が髪についた灰を払ってやる。地鳴りが聞こえる。山神の怒号。冷えて固まった溶岩が、その度にびりびりと震える。
 神主の唱える祝詞が静かに聞こえてくる。空に漂う灰の隙間から、僅かに、ほんの僅かに星が見える。足元に広がる底無しの淵は、静かに娘を待っている。
 お縫、と神主は呼んだ。
「自分の名前すら分からぬお前が、この先も並の一人の娘として幸せを得ることはまず叶うまい。しかし、少なくとも、山神はお前の美しい、優しい心を認めて下さるだろうよ」
 馬は、二三歩よろめくと高く嘶いた。
 娘と白馬を飲み込んで、溶岩はいったんうねると、轟音とともに姿を消し、後には静かな火口だけが残った。

 灰はやみ、山は元の静かな山に戻った。
 しかし六年に一人、娘が姿を消す。
 いつしかその村から若い娘は姿を消し、村は廃れた。