陽だまりの子

Child In The Sun

月侍童

 狩の途中、野営を抜け出した王は宵の月に誘われるように川辺へ赴いた。侍童もつれず、ひとりで。背の高い芒がざわざわと風もなく揺れて、王の訪いを知らせる。
「王様だよ」
「王様だ」
「姿を隠すのだ」
「無礼があってはならぬ」
王は、誰もいない川辺で水を掬い、喉を潤した。そのとき、王は川面に映る月影の中に人がいるのを見出した。小さく、幼い影。人影は足を水に浸し、じっとたたずんでいた。
「迷い子か」
王は声をかけた。影がふりかえる。月光の下で、そのかんばせは梨の花のように青白く光った。
「近くの村の者か」
影は答えない。そのとき、侍従が王を見つけた。
「王よ!おひとりでこのようなところにまで……」
「あの者を召し出せ」
王は手の水を払うと、侍従が差し出す絹で手を拭った。
「水の中の者だ」
 
 幼い者は侍童のひとりとして、王宮に仕えることとなった。
 王は酒を歌を愛し、よろこびを愛した。王は執務のあと、きまって酒を飲んだ。属国から朝貢されるめずらしい酒が王の喉を潤すことを待ち望んでいた。侍童はそのとき、酒と杯を盆の上に置き、頭を垂れて王の声を待つ。ひとりひとつずつ。多い日はその侍童が三百も王の前に並んだ。
「今日はその山吹色の壜にしよう」
山吹色の壜を持つ侍童が王の前に進み出る。
「注げ」
王の手に杯を捧げ、王の手の中の杯に酒を注ぐ。侍童の手はわずかにふるえている。
「この酒は何だ」
優曇華の花咲く国から王に捧げられた菊花のしずくです。重陽の節句に咲く菊の花びらの夜露を集めました」
気がすずしくなる飲み心地に王はいたく満足した。
 翌日、夕暮れに王は酒を欲した。王宮に吹く風が冷たく、体をあたためる飲み代がほしかったのだ。
「今日はその桃色の壜にしよう」
桃色の壜を持つ侍童が王の前に進み出る。
「この酒は何だ」
「無花果の花を見る民の国から王に捧げられた桃の花のしずくです。においたつ春の暁に咲く桃の花の朝露を集めました」
春のまろやかな日差しを思わせる飲み心地に王はいたく満足した。
 
 その夜、王は寝室から一人抜け出して王宮の庭を逍遥していた。月は高く、白く輝き、王は美しい宵に花を探していた。菊花のしずく、桃の花のしずく。今日は花がほしい。王は、庭にひとつの影を見つけた。
「何者だ」
王の声に気づくと、その影は身を投げ出し王の前の地べたに額をこすりつけた。
「童のひとりか。面を上げよ」
「滅相もございません。お許しください」
「面を上げよと申しておる」
侍童はおそるおそる顔を上げた。その顔は白く、瞳はおびえて、頬には涙のあとがあった。
「悲しみは嫌いだ」
「ご不興を……」
王はその侍童が月の宵に川辺で拾った幼い者だと気づいた。王は知っていた。
「菊花のしずくと桃の花のしずくはたいそううまかったぞ」
その侍童がそのふたつの壜を捧げていたことを王は知っていた。知っていて、そのふたつの壜を選んだのだ。
「お前も花のようだな」
王は侍童を自分の寝室に連れ帰った。侍童の肌は花のように香り、蜜は大変甘かったので、王は侍童にすっかり満足した。
 
 侍童は女だったので、寵愛を受け、王子を産んだ。王子は玉のように美しく、美を愛する王は王子を愛し、次期の王と定め、大切に養育した。
 だが、寵愛を受けた侍童は死んでしまった。王子を産んで数日の後、寝室で首を吊ってむなしくなっているのが見つかった。
 王は王子に母は月から来た人間で、王子を産んだ後に月に帰ったのだと知らせた。
 成長した王子が母の死を知り、王を殺すのはまた次のお話。