陽だまりの子

Child In The Sun

099. 1つと無い

シャーリーンは自分が死ぬことを信じなかった。死ぬことを信じなかったので、死と向き合う前に彼女はこの世を去った。彼女が死んだのは夏の終わりで、彼女の庭にはまだバラが咲き残っていた。

シャーリーンは花を育てるのが上手だった。自分の身の回りのことよりも花のことを優先して、自分の手が泥だらけで傷だらけになっていても、花が咲けば幸せそうだった。新芽が出れば大声を上げて家族を呼んだ。シャーリーンは家族を愛していた。彼女は家族が少しでも暮らしやすいようにと細々としたことまで家族の世話を焼いた。世話が行き届きすぎて却って家族に疎んじられることもあったが、彼女は不足より過剰がよいと信じていたので、いくら鬱陶しがられても世話を焼き続けた。彼女の親切はけして自分自身に向かうことがなかった。与えることばかりでけして見返りを求めなかったので、彼女は人からとても愛されたが、同時に人から受ける好意を是として受け入れられない人にはこれ以上もないほどに鬱陶しい存在だった。しかし、彼女はそういう人間の存在を信じなかった。すべての人間は彼女の親切を受ける権利が有り、彼女にはすべての人間に善意を施すことを義務として課せられると彼女は感じていたのだろう。彼女は現代に生まれるには少し違った人間だった。彼女は自分の人生の路上の石をひとつひとつ取り除けて進んでいった。けして石や道を横切る川を横切ったりはしなかった。石は道の横に積み、川には細い丸太を渡して橋を作った。自分の後ろを歩く人間のことを考えてのことだ。彼女は自分が進むにも、必ず後の人間のことを考えていた。

しかし、シャーリーンは死んでしまった。夏の終わりの暑い日に、自分の死ぬことを信じられず、体中に取り付けられた点滴のケーブルを抜いて自分の家に帰ろうとした。どんなに看護婦が止めてもバラの世話をするのだと言い張って聞かなかった。そしてベッドから降りて一歩を踏み出したときそのまま倒れ、心臓が止まって死んだ。死の宣告を受けてから2ヶ月も過ぎていなかった。彼女は自分の死を受け入れる前に死んでしまった。シャーリーンは死んでしまった。

シャーリーンは自分の道が永遠に続くと信じていた。自分の道は常に誰かの道と交錯し、自分の道がどんなに困難であろうとも、その困難は自分ひとりのものではなく自分の道を横切る誰かと共有されるものだ。そして彼女と同じ道を歩く人間は彼女の同志だった。彼女は永遠に続く道を歩き続け、常にその道がよい方向に向いていると信じて疑わなかった。その道が途中で途切れることなど、彼女には信じられようもなかったのだ。死によって道が途切れることなどないと、彼女に誰か教える人間はいなかったのか?彼女と同じ道を歩く人間がいる限り、彼女の歩いた道は途切れることはない。道が風化して橋が流れ小石が道の上を覆ってしまっていても、その上を歩く人間が現れる限り道はまたいつか現れる。ただ、その永遠にも近い時間の中で彼女の施した親切は芥子粒ほどに小さいものだ。効力など殆どない。でも、それをシャーリーンに告げたところで彼女の生き方は変わっただろうか?それは彼女の歩んだ道ではなく、彼女の道の歩き方だったのだ。それは、彼女の魂のほかにひとつとしてない美しい生命の輝きだったのだ。