陽だまりの子

Child In The Sun

078. イメージダウン

鉢の幸福の木が2株腐っていた。どんなに肥料をやってもこの株だけ芽が出ないのでおかしいと思っていたが、今日株の上をつかんで、ぐっと引っ張ってみると根もなくするりと抜けた。土に埋まっていた部分だけ樹皮が腐って、細い幹は炭のように黒く変色している。葉もなく、根もなく、水も通らない株は軽い。私は手にしていたポリ袋にただの棒になってしまった幹を入れて、口を閉じた。

花を咲かせない方法がある。学生時代に働いていたタオル屋の隣にあった花屋の主人が言っていた。
「花はどうすれば咲くと思う?」
「水をやって、肥料をやって」
店に飾る花を、私はいつも隣のよしみでその店で買っていた。
「日に当てるのよ」
「それでは、花は咲かなくなるの」
花屋の主人は女だった。きれいな人だったが、長い間、独り身でいると聞いた。
「水もやって、肥料もやって、日に当てて……、何もかも花のほしいものを与えて面倒を見ていると、花は安心して何もしなくなるの。花を咲かせなくなるのよ。自分で生きて、子孫を残さなくてもいいと、安心しきってしまうの」
「葉っぱだけ?」
「そう、葉だけ。自分が生きていくのに必要な養分を作るための葉だけを茂らせて、寿命が尽きればそのまま立ち枯れてしまう」
朝が来て花開く朝顔、太陽を見つめるヒマワリ。露を浴びて鮮やかに萎れてゆく月見草。畦道のスミレ、早春の田を埋め尽くすレンゲの紫、土手に咲く白と赤のツメクサ、秋の桔梗、女郎花。鶏頭のビロードのような房が咲く家の庭。私の思い出にはいつも野の花がある。
「どうすれば、花を咲かせられるの?」
花屋の主人は、何を話すのにも立ち止まっているということがなく、いつもその手元は忙しく動いていた。バラの花の棘を取り、萎れた葉をむしり、リボンとセロファンを揃えたり、忙しく立ち働いていた。しばらくの沈黙の後、花屋の主人は口を開いた。
「何も与えないの。そうすれば、花は咲くわ」
花は水もなく肥料もなく、ただ一人残されてしまうと、子孫を残そうとする種の生存本能が一気に開花するのだという。花にとって、生き残る手段は一つだけ。花を咲かせ、受粉して、種を残すことだ。種は槌に落ちて、次の世代の花が咲く。そうして咲いた花は、水や肥料を受けて育った花とは違う、一種独特の美しさがあるという。
「でも、花を咲かせる前に、その花が枯れてしまえば……」
水も肥料もない、乾いた埃と化した土の上で、葉は黒く萎れ、根は浮き上がり、花は……。
「生き残るのはどちらかしらね」
花屋の大きな冷蔵庫には、冷たいバラがいつも大輪の花を咲かせていた。私があのタオル屋を辞めて、もう何年が経つか。私はあの冷え切ったバラの花と、美しい花屋の女主人の横顔を思い出して、目の前のゴミ袋に視線を戻した。これはゴミだ。ただのゴミなのだ。幸福の木という名前がついていても、炭にも薪にもならない、灰になるだけの燃えるゴミなのだ。