陽だまりの子

Child In The Sun

073. 最後

ひどい風邪を引いて医者に処方された滅法強い薬を飲んで私はベッドの上で呻吟している。夥しい汗が額に浮かび頬に流れていくが拭う気力もない。私は汗に混じって自分の涙が流れていくのを感じる。感じるだけで涙をとどめようとすることもない。だって、熱があるんだもの。熱があるんだもの。二度繰り返して声に出したつもりが自分の耳には何も届かなかった。声が出ていないのか、ひどい熱で耳が聾しているのか、よくわからない。ただ、衰えた五感でもこの部屋に私以外の誰もいないことははっきりわかる。私は今、ひとりだ。ひとりで熱に苦しんでいる。

病は体だけではなく心も弱らせる。医者はそれを知って病人の薬に眠り薬を混ぜる。現実に孤独を感じぬよう、夢での孤独は悪夢と終わらせられるよう、眠り薬を処方する。薬は苦く一瞬意識を現実に引き戻すが、少しのときを過ぎれば病人は夢に落ちる。

そうだ、これも夢だ。私は眠り薬を飲んだんだもの。部屋にひとりきりで苦しんでいるなど、現実に即した苦しみが夢の中でまで続くはずがない。そう、これは夢。私はすぐよくなって起き上がり、冷凍庫からアイスクリームを出して食べる。アイスクリームはラムレーズン。この前、とっときに買っておいたのだ。日曜の朝に食べようと思って、金曜の夜に買って帰ってきた。今日は日曜だ。でも日はもう暮れかかっている。朝に食べようと思っていたアイスクリームだから夜に食べたってかまわないはずだ。そうだ、起きるんだ。起きてアイスクリームを食べるんだ。

はっと目が覚めた。目が覚める、いいや意識が戻ったのだ。自分が今、ベッドの上にいることがわかった。今が日曜の夜だと自覚したことで意識が戻ったのだ。私は今、夢に落ちるところだったのだ。薬のせいか頭痛が取り除かれ、ぼんやりとだがものを考えられるようになった。しかし湯を捨てたばかりの薬缶の肌のように脳髄はまだ熱をしっかり保持していて考えの端緒はつかめるのだが、それが一切形をとろうとしない。私は震える両手で頬に流れて乾いた汗と涙のあとを拭った。風呂に入った方がいい。そうだ、苦しみは終わったんだ。ベッドから立ち上がろうとして足を床に下ろした。踏みしめる足に床は冷たい。脚にかかる重力が不安定で、一気に踏み込むと体が跳ね返って天井まで飛び上がるように思う。だめだ、しっかり。あともう数時間で体調は戻る。あと数時間だけ我慢すればいい。

数時間、はっと我に返る。私は冷蔵庫の前に立っていた。ベッドからここまでの数歩の距離で記憶が飛んだらしい。冷凍庫を開ける。ラムレーズンのアイスクリームはそこにない。私は黙って冷凍庫を閉めると、下の冷蔵庫からミネラルウォーターを出して薬をもう一度飲んだ。ラムレーズンがここにないなんて、ああこれも風邪の熱が見せる悪夢なのだろうか。それとも私は熱で朦朧とするうちに現実と知覚せず夢のうちでアイスクリームを食らったのだろうか。それを覚えていないなんて、夢で夢のアイスクリームを食らったとしても現実の悪夢でしかない。今飲んだ薬を飲んでベッドから起き上がれば、ラムレーズンのアイスクリームは冷凍庫に戻っているだろうか。しかし、もしそうなれば今私が飲んだ薬は夢となって、私の風邪はいよいよ治りそうにない。