陽だまりの子

Child In The Sun

059. あの日

私には体が三つある。心の体と、頭の体と、体の体。心と頭と体がそれぞれの身体を持ち、協力しあったり、反目しあったりしながらもそれなりに折り合いをつけて共存しているのが私の心臓のあたりだろうか。

心と体は古参だが、頭は新顔なのでどうしても心と体とうまくやることができない。ともすれば自分の言い分を通そうとして、頭は心と体に無理を強いることが多い。心と体は年長だからということで年下の頭の言うことを聞いてやっている。頭は自分の言い分が通ったということで満足はしても、年下であり、多めに見られていることに引け目を感じ、鬱屈したものが溜まっている。頭は次第に無理を言うようになった。我儘を通そうとして心と体に嫌な思いをさせることが多くなった。三人とも言葉少なになり、会話をすることが減った。頭はずっと独り言を言う。心はそれを煩いと感じていた。体は我関せずと寝てしまうことが多くなった。心は体に何度か訴えた。
「独り言が気になって、私は夜も眠れないんだ」
「あいつはまだ若いんだから辛抱してやんな」
それに、私たちが何か言えばまた気に障るだろう。
心はこれ以来、体にも相談しなくなった。
頭は言う。
「何もかも思い通りにしたいんだ。わかることとわからないことを峻別しないことには気が済まないんだ。厄介な性分だってことは承知してる。でも、自分にできることなら何だってするよ。勉強もする。自分がこうしたいと思って我儘にしていることには、私は頑張っている」
体は心に愛想を尽かれても、頭に付き合ってやっていた。頭のためなら、大概の無理は聞いてやった。飲みたくない薬も飲んで、一緒に徹夜したこともあった。ただ、頭は体が付き合っていてくれることに何の疑問も持たず、ずっと一緒にいてくれると信じて疑わなかった。体が自分より先に生まれ、自分よりもずっと年を取って疲れていることにも気づかないほどに体を妄信していた。
体はある日、頭に言った。
「俺はね、ずっと頑張ってきたよ。ただ、いつ倒れるかわからない」
「いつ倒れるの」
頭は怯えた。
「倒れてもすぐ治るんだよね。起き上がってくれるよね。一緒にいてくれるよね」
もう頭は心と口を聞かなくなって随分経っていた。頼れるのは体しかいない。
「倒れても治るさ。でももう年を取ってしまったから起き上がるのには時間がかかるかもしれないな」
「それなら、どうすればいい。体が早く起き上がるにはどうすればいい」
「心に聞いておいで。あいつとは付き合いが長いから、心なら俺がどうすれば起き上がるか知っているだろう」
頭はそれができなかった。意地っ張りで見栄っ張りで、頑固だった。自分が体のことをどれほど必要としているか痛いほど知っていても、それを行動に移すことはシビアな自分の価値観が許さなかったのだ。
そして、体は倒れた。頭は怯えきって体の周りをぐるぐる回るだけだった。揺すってみても、叩いてみても、体は起き上がらない。息はしているから死んではいないが、どんなに声をかけても起き上がってくれないのだ。
頭は慌てて心に聞きに行った。心はむすっとして何も言わない。
「体が言うことを聞いてくれないんだ。どうしたらいいのかわからない。心なら知っているって体に言われたんだ。教えて、どうしたら体が起き上がるの」
「そんなことも知らず、あんたはあいつに無理させてたのか」
「だって、体はずっと一緒にいてくれるって」
「一緒にいるにも限度があるさ。あいつはお人好しだから、あんたに何も言えず倒れてしまったんだ。みんなお前のせいだ。俺のせいじゃない」
心は最後の「俺のせいじゃない」を繰り返して、最後は嘲笑うかのように息を混ぜて吐き捨てると、自分の場所に戻ってそのまま体がしていたように我関せずと寝てしまった。
頭は一人で途方に暮れている。頭は喉の渇きに苦しめられるようになった。全身が音を立てて軋み始めた。でも、頭はどうすればいいのかわからない。ただ黙って、体のそばに膝を抱えて座り込み、痛みに耐え切れず泣いていた。
「起きて、お願い起きて」
「一緒にいて。一緒に行こう。僕一人じゃどうしようもできないんだ」
「一人は寂しいよ、起きて。起きてよ。体が痛いんだ。つらいよ、お願いだよ」
「起きてくれたら、また一緒に行こう。起きてくれたら、ずっと一緒にいよう」
「もう無理させないって約束するよ。お願いだよ」

心と体と頭がどうなったのかは誰も知らない。心と体と頭の集合体の、私にもわからない。