陽だまりの子

Child In The Sun

058. 散歩

シャーリーンという私の名前が何にちなんだものなのか、今となっては聞く相手もいないので知る由もないが、少なくとも私の両親は娘が不眠症になることを願ってこの名前をつけたのではないと信じたい。この界隈で「シャーリーン」と言えば「不眠症の女」を指すことは5歳の子供だって知っている。「シャーリーンのようになりたくなければ、もう眠りなさい」子守唄の代わりにこの町ではこの文句が繰り返される。

私はシャーリーン。不眠症の独り身の女。私はこの街に一つの部屋を借りて、もう一人の女と一緒に住んでいる。同居している彼女は同性の私から見てもとても女性らしい人間で、誰彼かまわず優しくしようとするものだからいつも少し疲れた表情をしている。彼女は私にもいつも優しい。シャーリーン、と私の名前を呼んで私に少しだけ愚痴をこぼして、彼女はいつもこの時間には眠ってしまう。

私の夜がまた始まる。私の眠れない夜がまた始まる。私がお酒を飲まなければならない夜が、私が薬を飲まなければならない夜がまた始まるのだ。隣で同居人は安らかな寝息を立てている。彼女の寝顔は彫像のように少しも動かない。くしゃみのときを除いては……。窓の外、一羽の鳩が飛び立った。私はそっとベッドから抜け出してリビングへ歩く。リビングのソファに腰掛けて煙草に火を点ける。もうすぐ出かける時間だ。私の夜の散歩に出かける、午前三時がやってくる。
「シャーリーン」
私はその声に驚いて、煙草を取り落とした。ラグに丸い焼け焦げができる。
「また起きてたの?」
同居人の声は震えていて、自分が眠れないことが如何に罪深いことが思い知らされる。
「ええ、眠れなくて……」
少しは気の聞いた返事ができないものかと心中自分を罵りながら、私は煙草を灰皿に押し付けた。
「あなたが眠れないのは、シャーリーン。私のため?」
同居人はいつも語尾に自分の名前をつける。一言一句、私が聞き漏らしていないか確認するかのようで少し厭味たらしいと前から思っているが、まあ直接言うほどのことではない。
「散歩に行くの?」
「ええ、もう少ししてまだ眠れなかったら散歩に出るつもりよ」
「私も一緒に行ってもいい、シャーリーン?」
私は今度は煙草を箱ごと取り落とした。
「外は寒いわよ」
「知ってるわ。もう日が沈んでだいぶ経つもの。コートを出すわ」
「暗いだけよ。物騒だし」
「そうなのかしら。私、こんな遅い時間に外に出るのは初めてだから何もわからないの。教えてくれる、シャーリーン?」
夜のこの町はどんな感じなのかしら。私はどう答えていいのかわからず、黙って首を浅く振った。
「私、また困ったことを訊いたかしら」
「いいえ」
私は首を振る。
「何だか……、私が今まで考えたこともなかったことを訊かれたので少し驚いただけよ」
そして、その答えも知らないわ。
「私がこうしてシャーリーン、あなたに愚痴をこぼしたり、益体もない質問ばかりすることがあなたにとって負担なら、ね、シャーリーン」
別々に暮らしましょうか。
「できない相談だわ」
私は今度ははっきり首を振った。私は彼女が必要だった。私は彼女に歩み寄ると、ぐっと力を込めて彼女の手を握る。

ねえ、と私は切り出した。
「私の不眠症は、別に同居人のあなたのせいではないのよ」
「ええ、知ってるわ」
そして同居人は続ける。
「そして誰のせいでもない……、でしょ。シャーリーン」
私は黙って頷いて、彼女の首にマフラーをかけた。今日の最低気温は摂氏12度だ。彼女が風邪を引いたなら、それは間違いなく私のせいだ。