陽だまりの子

Child In The Sun

055. 自転車

幼い頃、私はイチジクの実を見つけるのがうまかった。互い互いに枝から生えたたくさんの葉のうちから私はいつも実の在り処を誰かに教えてきた。背丈があの頃の倍ほどにもなった今でも、私は自分の背丈の三倍以上もある巨木の根本から、樹上遥かな梢の実を指し示すことができる。
「太郎、あそこにイチジクの実があるよ」
私の足元には、私の子がいる。彼はイチジクの実が見つけられない。私と競争するといつも負けてばかりいるくせに、イチジクの木の下を通るたびに「イチジクの実を探そうよ」と言い出す。私は引いていた自転車を停めて荷台の上に足を乗せ、ひょいっと飛び上がる。次の瞬間、私の手元には枝から離れたイチジクの実があった。太郎は悔しがっている。

実を頬張る太郎の横で、私は少し意地悪な話をする。
「太郎、おいしいかい」
「うん。太郎はイチジクが好きだよ」
イチジクの実を見つけられなかった彼の悔しさは、いつもこうして消えてしまう。
「太郎がイチジクの実を見つけられるのはいつだろうね」
「次は見つけるんだい」
「無理だよ」
太郎、イチジクの実は誰も見つけられないのだよ。
「嘘だい。お父ちゃんはいつも見つけるじゃないか」
「嘘だよ。だってお父ちゃんが見つけているのは実じゃないもの」
私は立ち止まって、私は地面に指の先で「無」「花」「果」の三文字を書き、太郎にそれぞれの漢字の持つ意味を教える。
「これで“イチジク”と読むんだ」
太郎は果汁で染まった手を私に差し出す。私は手拭いでその手を丁寧に拭いてやる。
「昔の人はね、イチジクは花が咲かないのに実がなる木だと信じていたんだ」
だが違う。花はごく小さくて、花托が袋状に発達してできた花嚢の内側に咲くので外側からは見えず、花が咲かずに実がつくように見える。人がイチジクの実として食べているのは、実ではなく花なのである。
「でもね、太郎」
根だからと言ってお前は大根や人参、牛蒡を食べないのか。茎だからと言ってじゃが芋は食べないのか。お茶は椿に似た葉を煎じているんだよ。
「植物の体に名前をつけて区別するのは人間だけなんだ」
その実、植物の体はどこも人間に有用に作られているにも関わらず。
「でもね、太郎。そう考えるとこの世はとても恵み深い土地だと思わないか」
太郎、イチジクの実は誰も見つけられないのだよ。でも、お前はその花が大好きだろう?