陽だまりの子

Child In The Sun

054. 堤防

ざんざん降る雨の音を聞いていると、去年の秋に時間が揺り戻ったように感じる。今日は2月11日。冬も終わり。雪が降らずに雨が降っている。

雨の降る様子に心を動かされるのに、雪の降らないことに異を唱えるのに、私の心は自分の感情にまったく静かになってしまった。悲しいとか恨めしいとか嬉しいとか楽しいとか面白いとか、全部の感情がくるくる団子に丸まってひとつの袋にすっぽり入ってしまったようだ。嬉しいとか悲しいとかひとつの強い感情が巻き起こっても団子の中で動きが止まり、袋越しで色もわからない。私の感情なのに私には全容が見えない。

私は強くなったのだ。私はもう泣かないのだ。自分の感情を受け止められるようになったのだ。そういう心の声をいくら聞いても、私は自分の感情から隔絶された思いを拭えない。感情の奔流を受け止めきれず決壊していた私の堤防は、今は頑丈に修復され、暴れる川の流れも小川のように体の中を通過していく。私は強くなったのだ。本当に強くなったのだ。いくら言い聞かせても、私は自分の感情の行方を見定められない。堤防の向こうを滔々と流れる川の流れを見つめながら、私は膨大な水が行き着く先を知らない。

不安も強い。いつまた堤防が決壊するか私にはわからない。どれほどの水が流れているのか想像もつかない。高く厚い堤防を作ることで私は自分の感情からまったく隔絶されてしまった。悲しいとか嬉しいとかすべての感情が波頭に飛び散る水しぶきのひと固まりに凝縮されて、区別することも見分けることもできなくなってしまった。一度濁った水は二度と戻らない。私はすべての感情を一気に押し流すことに決めた。そして今、堤防からこちらの安寧な土地を手に入れた。

私の畑にはいろいろなものが育つ。堤防ができてから鉄砲水に畑を押し流されることもなく作物が確かに実るようになった。生きていくには、この成果が必要なのだ。そうだ、堤防があるから私はこうして精神の畑を耕せる。だが、堤防がない土地にも実りはある。土もない岩場の隙間から美しい茶の木が生えることもあるのだ。堤防の是非は私は決められない。ただ、堤防を作らなければ濁流の感情を前に日々恐怖を新たにすることもなかったはずだ。