陽だまりの子

Child In The Sun

032. 砂嵐

私の兄が死んで一週間になる。遺体はとっくに灰になっている、遺影の兄にも慣れた。それでも兄の亡霊が私の目の前から消えてくれない。
「どうしてまだそこにいるの」
「さあ、どうしてだろう」
兄は呼吸の途絶える前の少しの期間、意識がなかった。だから死んだという自覚がなく、まだここにいるのだと言う。私が話しかければ返事をするし、親に隠れて私がご飯を出せば兄は喜んで食べる。亡霊も腹が減るのだと言う。
「ご飯の味はするの」
「するよ。明日は餃子が食べたいな、お母さんに頼んでみてよ」
「どうやって頼むのよ。死んだお兄ちゃんが食べたがっているからって?」
馬鹿な兄だ。生きているときから兄は元々地に足のついていない人間だった。どんな仕事に就いても続かず、職に就いては離れを繰り返していた。それを疎んじられて家族からも友人からも距離が開いていった。兄は家族も友人も恋人もなく一人きりだった。兄が意識のない状態で一人の部屋で発見されたとき、医者は言った。
「どうして誰も気づかなかったんですか」
両親も私も答えられなかった。兄は押し込み強盗に殺された。強盗に頭を殴られて脳挫傷で、殴られてから二週間後に死んだのだ。
「お兄ちゃん、いつ死ぬの」
「もう死んでるよ」
「それならいつ、天国に行くの」
兄はまだこの世にいる。自分の体はとっくに灰になったのに、まだこの世にいる。
「死んだことはわかっているけど、自覚がないんだ。死ぬってどういうことだろう。僕はまだこの世にいるのに、死んだって人が決めるんだ」
「お兄ちゃんは死んだよ。もう骨になってるもの」
「僕は幻なのかな」
「亡霊だよ。この世に残っている亡霊だよ」
「それなら亡霊と話しているお前は何だい。体が骨になれば人間の意識は亡霊になるのなら、肉の体の中にあるお前の意識は一体何なんだろうね」
「私は人間だよ」
あんたは生きているときから人間以下だった。お父さんとお母さんに心配ばかりかけて、二人の寿命をどれほど縮めたことか。人を羨むことだけは一人前で、絶えず何かに僻んでばかりいた。それに私が気づかなかったと思っているのか。肉体を亡くして生まれ変わったとでも思っているのか。
「早く死んでよ
「死んで、死んでよ
「何でまだいるのよ。早く死んで
そうだ、あんたの存在が根幹からなくなればいい。根も葉も残さず枯れた土もすべて流されてしまえばいい。
「早く死んでよかった。殺されてよかった。死ぬにも意志が弱くて僕は何もできなかった。生きているのが本当につらかった。そうだ、殺されてよかった」
お骨の前の蝋燭が揺れて、兄の影が私の視界から消える。あわせてテレビの受像がぶれて砂嵐が走った。蝋燭は消えた。兄の亡霊は跡形もなく消えうせてしまった。