陽だまりの子

Child In The Sun

028. 映画

僕の背がもう少し高かったら、と考えてしまう。僕の今の恋人は女性にしては上背のある方で、ハイヒールを履くと男性にしては背の低い僕は忽ち追い越されてしまう。僕の背がもう少し高かったら、ハイヒールを履いた彼女と並んで腕を組み歩けただろうにと僕は彼女の額を見上げて考える。
「僕の背が高かったらどうする?」
「もっと高いヒールの靴を履くわ」
恋人は背の高い上に、ヒールの高い靴が好きなのだ。理由はひとつ、「足が長く見えるでしょ」の一点張りで、絶対に自分の主張を曲げやしない。
「今のヒールでも遠慮してるってこと?」
そうよ、と言って恋人はけらけら笑う。その恋人に僕は上からつむじを突っつかれて笑われたこともある。あのときは正直、心中穏やかではなかった(しかも、僕のつむじが二つ並んでいることまで恋人は指摘し笑ったのだ!)。それに、ヒールを履いた彼女に僕が上から押さえつけられて動けないのをいいことに、髪を撫でたり首筋のにおいを嗅いでみたり、僕の耳の後ろを擦って出てくる乾いた垢を見て大喜びしたりと、最近僕は男として彼女に扱われていないのではないかと感じている。恋人が普通の女性とは少し違うことはわかっているつもりだけど、釈然としない部分が多い。恋人は、今日は僕の耳垢を取るのだといって、わざわざ赤ん坊用の綿棒と医療用の細いピンセットと、ワイヤーの三段ループの耳掻きを買ってきた。ピンセットにいたってはわざわざ薬局の店頭で薬剤師と相談し、取り寄せたらしい!恋人の僕に対する異常な執着と熱意には厭きれるほどだ。だからこそ、せめて僕の背が高かったらと僕は夢想するのだ。僕が背が高く、男らしく、そしてこの薄い胸板がもう少し厚かったら、彼女の奇行も多少収まるのではないか。
「背が高かったら背が高かったらって言うけど、背が高かったら当の本人は何をする気なの」
「決まってるさ」
と返してから僕は言葉に詰まった。ハイヒールをはいた彼女と、
「う、腕を組んで歩けるだろう」
「何それ」
恋人はまた笑った。
「腕を組まなきゃだめなの?」
さっと彼女は僕の手を取った。
「手をつないでいればいいわ、別に腕を組まなくても。男性が女性を始終エスコートする時代なんて戦争の前に終わっていたことなのに」
気にしなくていいのよ。
「私があなたを連れて歩いたって、不自然じゃないのよ」
「犬扱いされているみたいでイヤだ」
そうだ。耳垢の一件といい、つむじの一件といい、僕は彼女のペットのように扱われている。
「我儘言わないの」
恋人は犬でも叱るように、僕の頭をぴしっと叩いた。
「女性に引っ張りまわされて文句の一つも言わない男性なんて、今の時代は忍耐強い夫の鏡よ。誇りに思いなさい」
僕もそうなるのかと運命の残酷さに暗澹とした思いを噛み締めていると、恋人が大声で僕を呼んだ。映画が始まる。

恋人には敵わない。僕はやっぱり彼女の犬なのだろうか。