陽だまりの子

Child In The Sun

027. 骨

こうして何かを書き始めるとき、人は何に頼るのだろう。紙か、ペンか。自分の二本の手だろうか、十本の指だろうか。それともこの頭か、この心か。私は今、何に頼って書き始めたのだろう。ベッドに仰臥したまま窓の外を次々行き過ぎる季節を眺めていると、このベッドがまるで一つの列車のように思えてくる。私は人生の残り少ない時間をベッドに横たわってレールの上を運ばれていく。行く先は死界。毎日のナースコールとそのまま病院の壁に突き刺さるのではないかと思われる勢いで走りこんでくる救急車のサイレンは、この此岸からの発車ベルのようだ。

私は地下鉄の引込線、砂利の上で発見された。それより前の記憶は途切れてない。そしてそのままこのベッドの上に移され、死のうとしている。私には、この手に残る経験は何一つとしてない。このベッドに移されて何日が過ぎただろうか。私はこのベッドに仰臥して何日を過ごしたのだろうか。季節を知ることはあっても、今が何時なのか私には知れない。時計がないからだ。不規則に響く誰かのナースコールと生命の急を告げる救急車のサイレン、私にはこの二つの音しか聴こえない。

私はこのベッドに乗ってどこへ進んでいくのだろう。こんなことなら日曜学校で神父の話をもう少し真面目に聞いておくんだった。いいや、聞いていたのかもしれない。私が今、何も思い出せないのがいけないのだ。先への思考力の源となる記憶が失われてしまうと、人間はほとんど考える対象を失ってしまう。今、私が考えられるのは精々空腹と両足にできた疥癬のことだけだ。表面的な人間の感覚。人間の生み出してきた哲学と宗教という叡智は私からすっかり遠いものになってしまった。今からカントを読み始めても読み終わる前に死んでしまうことがわかっている。私はこのベッドに何一つとして載せること叶わず、そのまま死界へ進んでいかねばならないのだ。空腹と見るもおぞましい疥癬を抱えて、嬰児のように泣きながら……。ああ、そうか。私は泣いていたのだ。

私の病のことを話そう。私は引込線の砂利の上で見つかったとき、両足にひどい疥癬を抱えていた。今はステロイド剤を飲んでその進行は止まっているが、ひどいところでは肉まですっかり剥げ落ちて骨が見えている箇所だってある。薬を飲んでもえぐれた肉は元に戻らないので、今は包帯でぐるぐる巻きにして凌いでいるが、筋肉まで落ちてしまったのでこの両足はすっかり使い物にならなくなってしまった。だから、私は始終ベッドの上にいる。ベッドの上は、そうだな、悪くはない。列車がそうであるように、けして心地よい空間ではないが、目的地に着くまで耐えていられるギリギリの環境だ。毎日このベッドが走り出せばよいと考えている。自分の足で動けぬのなら、せめてその思いがベッドに伝わってベッドが走り出さないかと。だが、ベッドが走り出したところで、私は結局賽の河原に向かって運ばれていくだけのことだ。私は遺書を書いているが、この遺書も丸ごと賽の河原の小石となってしまう。それは困る。せっかく書いているのだから誰かに読んでほしい。

そうだ、私が今この遺書を書いているのは、誰かにこの遺書を読んでもらうためだ。誰かがこの遺書を呼んで、私に血となり肉となる命を吹き込んでほしいのだ。この骨だけとなってしまった足に、もう一度だけ筋肉と腱を取り戻し、走り出せるだけの力を。自分の命ばかりとなってしまったこの血脈に今一度、人間としての経験を与えてほしい。この遺書を読んで、慨嘆し憤慨し落涙したりする者があれば、私の人生も引込線から脱することができる。誰か、この私をベッドから連れ出してくれ。ベッドごと運んでいってくれ。この病院から私を連れ出してくれ。私は死体となっていても構わない。ああ、私の骨だけでも……。