陽だまりの子

Child In The Sun

022. 四面楚歌

雨が邪魔だ。洗濯ができない。泥の撥ねで裾が汚れる。
風邪が邪魔だ。思うように頭が働かない。薬を選ぶのが煩わしい。副作用で瞼が重い。私はこのまま電車に乗って仕事に行きたいだけなのに、足が上がらない。咳が出て、そのたびに字が曲がる。
電話が邪魔だ。呼び出しの音よりも会話に苛立つ。留守番電話のメッセージを聞き返すのが、その再生ボタンを押すには、私のこの震える指ではうまくできない。
食べ物が邪魔だ。食後に内臓の動いている感触が嫌だ。腹から上がってくる息が、食べ物のにおいであるのも嫌だ。
犬が邪魔だ。何度家の前を通っても私の顔を覚えず、この5年ずっと吼え続けている。早く声が枯れるか咽喉が潰れればいいのにと思う。
靴が邪魔だ。今日もこうして歩くだけで踵が磨り減っていくのがわかる。気にしている自分に邪魔される。
私の周りはすべて邪魔だ。邪魔なものがすべてだ。

私は邪魔されている。たくさんのものに遮られている。こんなにも万物が気になって、ひとつひとつが癇に障るのはなぜだろう。自分という人間が小さいのだろうか。それとも、この雨は私にだけに降っているのだろうか。風邪は、私しか罹らない病気なのだろうか。電話の音は私にしか聞こえない、私以外の人間はものを食べずに生活をする?まさか……。

それなら、どうして私は遮られているのだろう。私を遮るようにと命令するのは誰なのだろう。普遍が私の個人の体に落ちたとき、リノリウムの床に私は叩きつけられる。叩きつけられて冷たい床の上で大の字のまま天井との間でまっすぐに引き伸ばされる。私は小麦か粘土のようにまっすぐに伸ばされる。冷たい床の上で、私は床を冷たいと感じている。

リノリウムの床と落ちてくる天井の間で、私は平らに伸ばされていく。リノリウムの床は地球で、天井を下ろすのは私。まっすぐに伸ばされることを望む私。それなら、私が天井を止めればいい。だが、その天井を止めようとする意志さえも私の邪魔をする。私はこうして横たわっていたいのか?私は天井を止めたいのか?私が戦っているのは、私の邪魔をするのは、その感情を普遍化する私の虚像なのだ。