陽だまりの子

Child In The Sun

021. 霧

雨に降り込められて二人は同じ軒先の下でじっと時間を過ごしている。まだ年若い青年二人、湿気て冷たい春の空気に薄いシャツの下の肌をこすりながら雨のやむのを待っている。二人の間の空気に棘はなく、熱のある日の氷枕のように冷たく心地よい。ただ、ずっとこのままでいれば心地よい氷枕でも血管を凍りつかせる冷気になる。
「雨、やまないな」
「やまないよねぇ」
「今朝の天気予報で午後にはやむって言っていたから傘を持たずに来たんだ」
「僕は折り畳み傘を忘れた」
「ついてないな」
「運がないね」
近くに喫茶店でもあれば雨を過ごせるのに、とひとりは浅く溜息をついて思い出したように指先に息を吹きかけた。ここから歩いて5分ほどのところに音楽喫茶がある。コーヒーも紅茶も今ひとつだが、古いスピーカーの調子は絶対狂わない。
「どうした、寒いのか」
「うん、寒い」
「もう少しだ。空が明るくなってきた」
ざあっと音を立てて二人の目の前を二台の車が通り過ぎた。開いたウィンドウからハーモニカの音とかすかな歌声が漏れる。

やまない雨は悪い雨
悪い雨は灰色の雨
灰色の雨は冷たい雨

「何か聴こえなかった」
「ああ、古い歌だ」
「知ってる歌なの」
「知ってる。誰かに教わったことがある。ハーモニカで伴奏するんだ」
すうっと息を吸い込むと一人の青年が歌いだした。
「やまない雨は悪い雨、悪い雨は灰色の雨、灰色の雨は冷たい雨」
それきり青年は黙ってしまう。
「続きを忘れてしまった」
「雨の歌なの?」
「いいや違う。次の番は霧、三番は雲、四番は海についての歌だ」
水の歌なんだよ。
「思い出せる?」
「やってみよう」

やまない雨は悪い雨
悪い雨は灰色の雨
灰色の雨は冷たい雨

やまない雨は霧になる
霧になってあたりに満ちる
景色水色
水色の霧はやさしい霧

「その次は?」
「これ以上は無理だな」
「残念」
二人は軒先から滴り落ちる雨粒とじっとにらめっこをしている。
「空が明るくなってきたな」
「ねえ、もう一度歌ってよ。覚えているところまででいいから」
「どうせ二番で途切れる。俺は三番の雲のところは好きじゃなかったんだ」
「飛んで四番でもいいよ。ねえ、このまま待っているだけなのはつまらないさ。雨とどっちが先に最後まで歌い終わるか競争しよう」
どうせ雨の勝ちさ、一人は笑って煙草を取り出した。石がしけってうまく火が点かない。
「続きを歌えってことか」
雨にけぶる春の町の軒下で若い男が二人、雨に降り込められて立ち止まっている。一人が歌い、もう一人が続く。

やさしい霧は水色で
空に混じって舞い上がる
やさしい霧は……

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