陽だまりの子

Child In The Sun

018. 流れ星

ミセス・マリグラスは毎晩ベッドに横たわると窓の向こうの星に手を合わせて願いごとをする。
「子供が授かりますように」
ミセス・マリグラスとミスタ・マリグラスの間にまだ子供はなかった。二人とも子供はほしいと考えていたが、今子供が生まれても育てられないだろうと夫婦生活の間に子供を授からないようにする工夫を凝らしていた。
「元気で丈夫な子供であればかまいません。元気に育てばもう言うことはありません」
以前は「頭のいい子」「顔かたちの美しい子」「何かひとつ才能のある子」と星に願っていた。
「そして、生まれた子供が一人立ちするまでは私の命を永らえてください」
二人の間に子供が生まれたらどんなに素晴らしいだろう。ミセス・マリグラスはそれまで生まれるであろう子供の将来のことばかり考えて、新しい家族の形について思いを馳せたことは一度もなかった。子供が生まれれば家族の生活は劇的に変わるだろう。ミセス・マリグラスは舞台の仕事を辞めなければならないかもしれない。しかし、それもいい。子供と過ごす時間は舞台のスポットライトよりも明るくミセス・マリグラスの未来を照らすことはすべての人間の知る真理のひとつなのだ。

ジルベールの見舞いに行ってから、ミセス・マリグラスは生まれ来る子供に多くを望まなくなった。ジルベールは先日舞台の上で狂人の銃弾によって傷つけられた不幸な役者だ。彼の堂々とした体躯が苦痛で歪むのをミセス・マリグラスはぼんやり眺めながら、彼の病室にたどり着くまでに通った小児病棟の光景を思い出していた。大きな病院だからか、入院している子供はみんな重い病気に罹っているようだった。すっかり髪の毛が抜け落ちてしまい禿げた頭をパンダの柄のバンダナで覆った子、柳の枝のように細い腕で必死に車椅子を押す子(ミセス・マリグラスは咄嗟にその子の後ろに回るとゆっくり車椅子をトイレまで押してやった)、ベッドの横たわったまま白く濁った片目で点滴の管を睨み続けて動かない子。そして時折廊下に響く消え入りそうな泣き声。注射の痛みに、彼はもう精一杯の声を上げて泣くこともできないのだ。幼子の病に罹って苦しむ姿を見ることは何よりも苦しい。自分の身にその病を移して苦しみを変わってやれたらとミセス・マリグラスは眼に押し当てたハンカチの暗闇で考えた。自分の身はどうなっても構わない。苦痛を紛らわせる手段ならいくらでも知っている。だが子供は、子供は何も知らないのだ。苦痛を紛らわせる手段も、痛みに耐える精神力も、彼らは何も持たないのだ。それにも関わらず、ベッドに縛り付けられた子供たちは何よりも貴重な「美しい子供の時間」を奪われつつあるのだ。

車椅子の少年はトイレの前に着くと彼女を振り返ってこう言った。
「お姉さん、ありがとう。ここから先は一人で行けるよ」
ミセス・マリグラスはゆっくり頷いて車椅子の持ち手から手を離した。

生まれくる子供がどんな人間であろうとも、元気で丈夫な子供であればかまわない。ミセス・マリグラスは自分の海辺の別荘を思った。生まれた子供が5歳になれば一緒に海水浴に行こう。お揃いの水着を買って、一緒に写真を撮ろう。子供はきっと喜ぶだろう。それまではあの海辺の別荘は手放さないでおこう。生まれてくる子供に何かを望むのは間違いだ。生まれてくる子供が健康に育ち、成人までのわずかな時間を私とともに過ごし、同じ喜びを彼らの子供に引き継げたら私の人間としての使命は全うされる。それで充分ではないか。

カーテンの向こうを流れ星がすっと横切った。ミセス・マリグラスはもう一度願いを唱えた。
「子供が授かりますように」
「元気で丈夫な子供が授かりますように」

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