陽だまりの子

Child In The Sun

017. 宇宙

著しい生命感の喪失や行動の制止症状に苛まれることが少なくなった。それにつれて今までは考えもしなかった事象に次々と疑問が浮かぶ。自分が考える力を取り戻したことはとてもうれしいが、その力をどこに配分すればよいのか、何に振り分ければよいのかわからず、思考のエナジーが細分化して体が重心を失い、バランスを失っている。自分の体が何かを中心に回転するイメージ。動いているのは自分の体なのか、それとも天の空なのか、やはり判然としない。

ひとつ気がついたことがある。私には絶望したい、死にたいという願望が人より稀薄なようだ。「生きていれば必ずいいことがある」とか「生きることができるのは、今の時代に生まれた特権だ」というおためごかしを散々聞かされて育ったせいか、天邪鬼の私は生きていることにあまりありがたみを感じない。そして生を当然のものとして受け入れているので、それを自ら手放す、つまり死にたいとも思わない。だが、ただ漫然と日を送ることは罪悪だと常に感じている。天与の生を生きるのではなく、天与の生を使い切ることに重きを置いているのだ。使い切らない生は何かに対しての罪悪なのだ。「罪悪」から逃れる。そのためにこの生を生きる。これが私の本質なのだろう。

だが、罪悪だと感じているだけで私の心は何も示さない。私の体は罪悪の意識から何かに駆り立てられるように動き続ける。意識が体を転がすエネルギーを生む。私は生を使い切るために何かを消費している。何かを燃やしながら坂を転げ落ちるように、風に巻き上げられるように、誰も気づかないほどのスピードで走り続ける、考え続ける。回転する私の体、私の思考。私の体から飛び散る思考のエナジーは転々と道に落ちて空に散って私の生の証となるのだろうか。宇宙がどの星を中心に回っているのか誰も知らないように、私の体も何を中心に回転し、いつ燃え尽きて擦り切れるのか誰も知らない。ただ燃え尽きなければ無に帰れない。