陽だまりの子

Child In The Sun

011. 滴

古めかしい洋食レストランの地下1階で僕はウィスキーをちびちび舐めている。眠い。ここ最近、昼夜問わずひどい眠気が絶えず襲ってくる。目を覚ましているためには、しっかりと両手を握って自分の意識が遠のかないように自分の脳味噌をじっと見張っている必要がある。これは大変な苦労だ。僕は疲れてきている。疲れてますます眠くなる。
「よう、牧野」
同期の山本だ。
「また一人か」
山本は僕の隣に腰掛けて僕と同じウィスキーを注文した。
「なぁ、最近少しおかしいぜ」
席でもじっと考え込んだり、飯食べながらぼーっとしてたり、人のいない噴水に何度も通ったり。
「なんだ。見てたの?人のしていることをこっそり覗き見して本人に黙っているなんていやらしいなぁ」
「いやらしいって何だよ」
山本は笑って僕の肩をばんばんと叩いた。彼の白い歯が黄色いシャンデリアの光に映ってきらきらした。

僕はこのカウンターが好きだ。シャンデリアの光が薄暗くて好きだ。ここでウィスキーをゆっくり飲んでいると、火がともるように体の心がゆっくりゆっくり熱くなって指先がぽうっとしてくる。このままこの指をロウソクにかざせば、きっと火が点くだろう。その光はシャンデリアの薄暗い光を幾ばくか助けるに違いない。
「僕は左腕がないじゃない」
牧野には生まれたときから左腕がなかった。日常生活に不自由しないので義手もつけずそのままいる。
「たまに考えるんだ……。左腕があったら僕は違う人間になっていたのだろうか。僕は違う人生を歩んでいたのだろうかって」
右手でグラスを握り締めると、冷たい氷の感覚に続いてぬらりとした結露の滴が皮膚に触る。
「お酒を飲んでいると、今まで考えなかったことを考えるんだ。自分にない左腕の感覚や、自分にない両腕の人生のこと。新しい命の記憶が生まれてくる気がする」
「悪酔いしてるだけだろ」
「違うよ……。知ってる?ウィスキーってもとはアイルランド語で『ウシュク・ベーハー』って言って、『生命の水』って意味だったんだって。僕がこれに酔ってあれこれ思い出すのも、ウィスキーを飲んでいるせいにできないかな」
「これが命の水?」
山本のグラスの中で氷が音を立てて崩れた。僕はグラスに残っていた酒をぐっと飲み干す。グラスについていた滴がぽとんと落ちてコースターにしみを作った。強すぎる生命の光はいっそう深い影を心に作るのかもしれない。考えすぎて、僕は眠い。