陽だまりの子

Child In The Sun

001. 暁

今日は何の誘いだ、ジョーカー。もうカードならやらないぜ。ああ、俺か。俺はいつもの通りさ。母親から来た手紙を読んで、破って捨てているんだ。前にも話したろう。俺の母親が何やら怪しげな宗教にすっかりはまっちまってることを。今日もそのカミサマの言葉を借りて俺に説教してくる。「あなたがたの父が憐れみ深いようにあなたがたも憐れみ深くなりなさい」俺が人から憐みを受けることが大嫌いだと知っててこれだ。

なあ、ジョーカー。カードにはスペードのキングがあればジョーカーがある。すべてのカードがジョーカーなら勝負にならないし、スペードのキングだけならポーカーができない。光が射し込む部屋の奥には必ず影がある。山の向こうから太陽の昇るとき、その山の端は明るくとも山の麓は真の闇を背負ったままだ。もし、うちの母親が言うとおりにすべての人間が憐れみ深くあり、すべての人間に神の憐憫が行き渡るのなら、そのとき神はどこにいればよいんだろうな。その世界が天国だと言うのなら、地獄はどこにあるのだろうか。地獄にある人間もすべて救われると言うのなら、天国もそのときは必要ないだろう。おかしなことだ。そのときには新たなカミサマが現れて教えを説くのだろうか。その教えを天国の人間は信じるのか?

俺が思うのはひとつだ。俺一人の善意や悪意が左右するほど、この世の天秤はちっぽけなものじゃないってことさ。俺一人が善意を施したところでその人間はその他大勢の悪意を受けてすぐに死んでしまうかもしれない。それとも神の手の悪戯で突然天に召されることもあるだろう。俺自身の恣意的な行為が他人の生涯に及ぼす影響など知れているのさ。それを大声で「憐れみ」だの「善」だの「悪」だの名前をつけるのが俺は一番気に喰わない。分銅にも成り得ないちっぽけな自分に価値を与えるため「憐れみ」だなんて名前をつけているんだろう?うちの母親は毎日俺に手紙を寄越す。一日に二度手紙を送ってくることも珍しくない。返事を出す間なんてないさ……、その前に次の手紙が来ちまうんだ。ジョーカー、お前はどう思う。この母親の手紙をお前は笑顔で受け取れるか?破り捨てる俺には憐れみではない何が必要なんだと思う?