陽だまりの子

Child In The Sun

灰とダイヤモンド

灰とダイヤモンド〈上〉 (岩波文庫)

灰とダイヤモンド〈上〉 (岩波文庫)


灰とダイヤモンド〈下〉 (岩波文庫)

灰とダイヤモンド〈下〉 (岩波文庫)


アンジェイ・ワイダ監督の手による同名の映画(1958年発表)を想像してこの小説を読むと、映像と文章の差に驚かされるだろう。小説で主役と言っていい位置を占めるコセーツキ判事は存在せず、その家族のエピソードもごっそり抜けている。

小説『灰とダイヤモンド』は、第二次大戦が終幕を迎えて間もない1948年に発表された。これから10年、映画制作まで著者が如何なる思想変遷を遂げたかは不明だが、終戦から3年のこの文章は随所に香る血の描写は鮮烈で、瑞々しくさえある。

この作品の舞台は、ポーランドの一地方都市。時間は第二次大戦終戦直前、1945年5月5日から5月8日までのわずか4日間。1945年5月8日はドイツが降伏文書に署名した日である。

ポーランドは長きに亙って苦難の歴史を歩んできた。18世紀に入ってからの三度のポーランド分割に始まり、第一次大戦後の服従、第二次大戦中のナチス・ドイツによる収容所での大量虐殺……。苦渋と呼ぶはあまりに易く、試練と呼ぶにはあまりに辛い歴史が大地に刻まれている。

だが、この艱難の歴史の中でポーランドの大地が消滅しなかったように、ポーランド国民の中には自国の独立と自立への思いが脈々と受け継がれていった。ポーランド分割に始まり常にドイツの支配下にあったポーランドは自由と独立を目指す抵抗、反乱、挫折を繰り返す。その発露は若者に最も著しく見られる。

映画『灰とダイヤモンド』には登場しないが、コセーツキ判事には二人の息子がいる。アンジェイとアレクという二人の息子で、二人はそれぞれ別の思想を抱き、テロ闘争に身を投じていく。アンジェイは自由と民主主義を標榜し、ロシアと同調して共産主義国を目指すシチューカの暗殺を企てる。アレクは幼馴染と組み、武器を手に入れ何者かと戦い、来るべき共産主義のポーランドで地位を得ようとしている。まだ17歳という若さなのに……。そして、アンジェイの仲間で、シチューカ暗殺計画に組みしていたマーチェク。マーチェクは愛する女とともに、思想から逃げ出そうとする。この三人に当時のポーランドの歴史が色濃く投影されている。一人は自由主義、一人は共産主義、最後の一人は思想を離れた純粋な愛。三人はそれぞれ信じるものは違えど、4日間の舞台を一瞬で駆け抜ける。小説の最後、マーチェクはまったくの行き違いから保安兵の誤射によって命を落とす。冒頭に引用されたノルヴィトの詩の意味が、ここでようやく歌となって流れ出す。

松明のごと、なれの身より火花の飛び散るとき
なれ知らずや、わが身をこがしつつ自由の身となれるを
もてるものは失われるべきさだめにあるを
残るはただ灰と、あらしのごと深遠に落ちゆく混迷のみなるを
永遠の勝利のあかつきに、灰の底ふかく
さんぜんたるダイヤモンドの残らんことを

ポーランドの地はあまりにも多くの血を吸い、歴史を築くにはあまりにも多くの人の命を犠牲にした。しかし、戦後60年を経て、現在ポーランドは存在し続けている。今の共産主義圏の消滅、EUの巨大化を見ると、ポーランドの地が今は灰を振り落とし、ダイヤモンドの輝きをあらわにしていることを知るだろう。

惜しむらくは、作者の思い入れが深いあまりに、随所で独りよがりの描写が見られることだ。冒頭の訳者による長大な歴史背景の説明がなければ、三人の若者が何に向かって走っているのか、さっぱりわからぬだろうし、それぞれの登場人物にポーランドの歴史を背負わせるあまりに、人物描写に乏しくなっている感は否めない。だが、それらを勘案しても、この小説は一読に値しよう。

現在、共産主義は絶滅に瀕している。自由主義も民主主義も、次第に形を変え、時代は新しい方向に向かい始めている。ただ、信じられると思っていた人間の愛も、捉えがたいものになっている。私たちはアンジェイのように思想のため人を殺せるだろうか。自由主義を友人と語り、アレクのように野望に満ちて銃を手に取るだろうか。マーチェクの死を喜劇だと笑う人間には、この時代の愛の形はわかるまい。血を流すこともなく、思想も持たず、日々を送っている私たちの生きた後に、ダイヤモンドは残るのだろうか。読後に非常に感傷的になる小説である。